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44歳の時に乳がんが発覚しました、標準治療でいろいろ副作用がありました

私は30代の時、自分の人生の中で一番太ってしまいました。

昔から痩せている方ではなく大柄な方でしたが、とにかく30代は甘いものを毎日欠かさずに食べていたせいだと思います。

健康診断でも血液の値が悪くなっていき、このときに私は病気を呼び込んでしまったのだと思います。

44歳の時に乳がんの啓蒙活動をやっている知人のセミナーを聞き、では私もセルフチェックをしてみようかと触ったところ、左胸に大きなしこりを感じ、慌てて病院へすっ飛んでいきました。診断は2ステージのBで、しこりは4cmをあり、腋窩リンパ節にも転移があると言われました。

自分は病気にならないという根拠のない自信があったので、青天の霹靂でした。まさか自分が病気になるなんて!

その直前に、うちの息子が通っていた学童保育のあるお父さんがすい臓がんでお亡くなりになっていたので、ほんとに青くなりました。

私は死んでしまうのか!?・・・・・・

答えは、 いや、死なない!

あとは治療をするだけだと思い、病院で標準治療を受けることにしました。

乳がんの標準治療は、術前抗がん剤、手術、放射線療法、ホルモン療法、といったものでした。(当時私が受けた治療です)

抗がん剤の副作用は、髪が抜ける、吐き気がするなどいろいろ聞いていたので、その辺りは覚悟していましたが、副作用は抗がん剤以外の療法でもいろいろ経験しました。

 

抗がん剤の副作用・・・お腹の激痛

抗がん剤治療は3週間ごとに点滴注射で体内にいれますが、具合が悪くのなるのは私の場合は注射をしてから2日後でした。2,3日具合が悪く、それを越すと体調を持ち直してきましたが、抗がん剤の回数を重ねてくると体調を持ち直してくるのに時間がかかるようになってきました。だるさが中々抜けなかったり、発熱もしたり、股関節が痛くなって歩きづらくなったりしました。中でも一番つらかったのが、お腹の激痛です。抗がん剤で腸の動きが止まり、腸が動き出すときにすっごい痛みがありました。あまりの痛さに驚きましたが、これはとにかく出すものを出さないといけないということでトイレにかけこみ、痛みに耐えながらも用をたしました(汚い話でごめんなさい)。2回目にこの症状が出たときは、痛さに耐えながらやっぱりトイレに駆け込みましたが、そのとき便器に手を突っ込んでしまった記憶があったのですが、はっと気づいたときには手は便器に突っ込んではなかったので、一瞬気を失ってしまったのだとあとから気づきました。・・それくらいの激しい痛みでした。

こんなんじゃ死んじゃう!と思って1回目も2回目も痛みが治まったら病院へ行きました。気を失うような痛さがあっても、出すものを出したらふつうに歩いて病院へ行けるのだから、今思うと腸が変になっているということではなかったのでしょうね。

こんなに痛いのならもう抗がん剤なんか止めてやる!と思ったのですが、その前に自分のしこりを触ったら、初めの頃より小さくなっていたので、あと2回だから頑張ろうと思いました。・・なんとも調子の良いことを思う私でした。

そして次の回の時は、便の水分を調節する薬を事前に処方してくれ、それを飲んでいたら、あの激痛は出ないで済んだのです。心底ほっとしました。あのお腹の激痛は、今までの生きてきた中で一番痛かった!! もう2度と嫌だ!  と思ったのですが、

その後も、腸が弱くなったのか、何かあるとお腹をこわすことがよくあるようになり、たまに激痛で苦しむことがあります。でもさすがに気を失うまではないですが。

 

紫外線アレルギー

乳がんの標準治療のひとつにホルモン療法がありますが、ホルモン療法は飲み薬と毎月のお腹に注射でした。

この飲み薬の副作用に、子宮体癌のリスクを上げるというのがあります。私の場合はアレルギー、特に紫外線アレルギーがひどく出て、顔がボロボロになってしまったことがありました。顔がボロボロになる、これは心底悲しかったです。

もともと紫外線アレルギーの症状はあり、4月から10月は帽子・日傘は必須アイテムでしたが、半そでは着ていたし、8月くらいからはそれほど症状が出なくなっていたというくらいだったので、ちょっと気をつけるくらいでした。

それがホルモン療法をやりだしてから、紫外線アレルギーが以前より強く出るようになってしまいました。今まで4月から始まっていたのが、2月にスキーに行ったときに出たり、日傘や帽子をしっかりして日中外出して帰ってきたら、顔が赤く腫れてしまったことがありました。それがまるでやけどのようだったのです。私は病院へ行かないでスキンケアで治したのですが、腫れが引いたら今度は肌がカサカサになってしまいました。こんなカサカサな顔では人前に出たくない!と、ほんとに悲しくなり、世をはかなみたくなるくらいでした。今まで抗がん剤の副作用や手術で体を切ったり貼ったりしたことにも耐えて頑張ってきたのに、顔がボロボロになったくらいで世をはかなみたくなるくらい落ち込むということを、私はここで知りました。顔ってほんとに大事なんだな、と。

顔がボロボロの状態なんて人に見せたくないのですが、私は会社員だからそうもいかず、最終的にはおばさんの顔は誰も見やしない!と居直って出勤してました。

(私はステロイドの副作用でさんざん苦しんだ経験があったので、病院へ行ったらどうせステロイド剤と飲み薬だと思って行くことをせず、自分のスキンケア製品で治しました。毎日ケアをすると徐々に治っていき、3日目くらいでもとに戻ってきて、5日目くらいでほぼ元に戻りました。そしてまた日中外出するとボロボロになり、またケアして治すというのを繰り返していました。会社員だったので土日に出歩くと症状が出てしまった、ということです。)

それとこのホルモン療法の飲み薬は、私の子宮筋腫も大きくしてしまいました。

この飲み薬は子宮体癌のリスクを上げるので、定期的に子宮体癌の検診をしなければならないのですが、検診に行くたびに筋腫が大きくなっていきました。さすがに10cm近くなった時、5年飲むところを2年目ですが、私の主治医はこの薬を止めることを指示しました。そしたら、紫外線アレルギーでやけどのように顔が赤ぶくれするという症状は出なくなりました。ほんとにほっとしました。

ですが、このホルモン療法の副作用はまだまだ続き、乳がんが発覚してから5年経ったとき、子宮体癌と診断されてしまったのです。もう二度と切ったり貼ったりの手術はするもんかと思っていたのですが、セカンドオピニオンで信頼する婦人科の先生に、このような症状が自分の妹に出ていたら手術を進めるわよ、と言われ、手術をすることしました。

子宮摘出の手術を決めたとき、主治医が「乳がんの人は卵巣がんにもなりやすいから、せっかくお腹を開けるのだから卵巣も取りましょう」と、なんだか軽く話すんです。

まあ、私も、もうお役目は終わっているから、いいかぁと思い、OKしました。

でも、お腹を開けて子宮体癌の様子によっては、リンパ節も取らないといけなくなる、という話には、最終的には私は承諾しませんでした。それは、脇の下の腋窩リンパ節を取ることによって、左手がリンパ浮腫になってしまった経験があったからです。もう浮腫でバンテージを巻いたり、禁止事項が増えるのはご免ですから。

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もう乳がんが発覚して手術をしてから15年以上経ちましたが、

子宮と卵巣を取ってから、大きな病気をすることもなく過ごしています。

今では副作用のことも忘れています。

今回この記事を書いて、副作用はもっとたくさんあったということを思い出しました。

一つひとつの副作用の症状が出るたびに、内心ではガックリきていましたが、

そんな気持ちに引きずられていては、きっと再発転移がやってくると思い、

気を確かに持ち、ガックリ来る気持ちを打ち返していたことを思い出しました。

病は気から

ほんとにそうだと思いました。

この治療を通して思ったのは、私は医療に助けてもらったかもしれないけれど、いろんなものを捨ててきたということです。

薬や手術で乳がんは治してもらったけれど、そのせいで子宮体癌で子宮と卵巣の敵出手術を受けたということもその一つです。

私はそれ以来自分の体から薬を一つ一つ抜いていったり、病院へはなるべく行かないようにしています。

人間はたいていの病気は絶食して寝ていれば治るというのを聞いてから、自分もそうしようと思っています。

薬、医療、化学の力・・・

素晴らしいけど、疑問もあります。

この力を抜きには生きていけないけれど、

自分の体にほんとに良いものだけを選んで過ごしていきたいと思っています。

 

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